プラスミノーゲンアクチベータインヒビター(PAI)-1は、血管内に生じた血の固まり(血栓)の維持に不可欠なタンパク質ですが、近年では、ダメージによる細胞の修復(細胞再生)を抑制することや年月を経て細胞が修復できなくなる現象(細胞老化)に関与することが明らかとなり、高齢化や生活習慣に伴う疾患に関与すると考えられています。そこでPAI-1の働きをおさえるPAI-1阻害薬が「細胞再生」や「老化」に関連した疾患の治療に応用できる可能性を考えて、当社はPAI-1阻害薬の開発に取り組んでいます。
ヒトのPAI-1分子の構造を基に、コンピューター工学を利用して約200万におよぶ仮想化合物のライブラリーから96個のPAI-1阻害候補化合物を取得しました。PAI-1阻害作用を指標として、新規阻害化合物を10年以上かけてこれまで1,400個以上合成して、更にそれらのPAI-1阻害作用や安全性などを評価する中で、安全性に優れた経口投与可能な化合物であるRS5275を取得しました。RS5275からさらに合成展開を行い、4つの臨床候補化合物RS5441、RS5484、RS5509、RS5614を取得しました。その中で最終的に、最も有効性に優れ安全性が高いRS5614を臨床開発候補化合物として選択しました。実際に、RS5614は、臨床試験や医薬品として製造販売する上で必要となる全ての非臨床安全性試験に合格しています。また、RS5614は、これまでに200名を超える被験者(健康人、慢性骨髄性白血病、新型コロナウイルス肺傷害、悪性黒色腫など)に投与され、また、慢性骨髄性白血病では1年間の長期投与が実施されましたが、RS5614による問題となる副作用は報告されておらず、安全性の高い医薬品と考えられます。
当社は米国ノースウェスタン大学と共同で「PAI-1と老化」に関して研究をしてきました。生物の細胞は細胞老化のために、無制限に増殖することはできません。この現象には、細胞増殖にブレーキをかけて細胞老化を促進するp53遺伝子が関与しています。さらに、老化した細胞は、過剰なp53に加えて、PAI-1の発現が極めて高いことが分かっています。実際に、p53やPAI-1を抑制することで細胞老化の現象は抑制できることが明らかになりました。細胞のみならず、老化した組織や個体(早発性の老化モデルであるklothoマウスや早老症ウェルナー症候群のヒト)でも、PAI-1の発現が高いことが報告されました。また、老化モデルklothoマウスでは、PAI-1の発現や活性を阻害することにより、老化の主症状を全て改善できることを明らかにしました。加齢に伴い発症するがん、動脈硬化、慢性閉塞性肺疾患、糖尿病、腎臓病、アルツハイマー病ではPAI-1の発現は極めて高くなっていますが、PAI-1阻害薬を投与することで、これら疾患動物モデルでの病態も著明に改善できます。
米中西部に暮らす宗教集団のアーミシュを対象として、米国ノースウェスタン大学と共同で調査した結果、PAI-1遺伝子を持たない人は、持っている人に比べて10年程度長生きすることを見出しました。また、PAI-1遺伝子を持たない人は糖尿病など病気にもかかりにくいことが分かりました。このヒトでの疫学調査は、細胞やマウスでの実験結果と一致しています。
加齢と共に、がん、血管(動脈硬化)、肺(肺気腫、慢性閉塞性肺疾患)、代謝(糖尿病、肥満)、腎臓(慢性腎臓病)、骨・関節(骨粗鬆症、変形性関節症)、脳(脳血管障害、アルツハイマー病・認知症)などの疾患が発症します。興味深いことに、これら疾患により影響を受けた組織では、PAI-1の発現が極めて高くなっています。しかも、これらの疾患の動物モデルにPAI-1阻害薬を投与することで、その病態は著明に改善されることが確認されました。このようにPAI-1と老化に関しては興味深い知見が明らかになりつつあります。
近年、老化した細胞がPD-L1という免疫のブレーキになるタンパク(免疫チェックポイント分子)を発現し、免疫からの攻撃を逃れていることが示されました。免疫チェックポイント阻害薬は、最初に京都大学の本庶佑先生らにより免疫細胞にある免疫チェックポイント分子PD-1が発見され、その抗PD-1抗体(免疫チェックポイント阻害薬、ニボルマブ、商品名はオプジーボ)が新たながんに対する治療法(がん免疫療法)として開発されました(2018年、ノーベル賞受賞)。抗PD-1抗体を加齢マウスや生活習慣病マウスに投与すると、免疫が活性化されて老化した細胞が除去され、臓器や組織の老化現象や生活習慣病が改善しました。当社は、PAI-1ががん細胞の免疫チェックポイント分子の発現に関与し、がん細胞の増殖を促進すること、そしてPAI-1阻害薬が免疫チェックポイント阻害作用を有することを見出しました。このように、PAI-1はがんと老化を促進すると考えられ、当社のPAI-1阻害薬はがんとその他の老化関連疾患に有効であると期待されます。
過去に国内外大手を含む多くの製薬会社やバイオベンチャーが低分子PAI-1阻害薬の開発に取り組み、幾つかの薬剤はマウスやラットの動物モデルで有効性が報告されました。しかし、いずれも開発の早い段階で中止となり、現在臨床ステージにある内服可能なPAI-1阻害薬は当社の薬剤だけです。